プラスチックの歴史をチラ見してみよう

ベークライト製の電話

プラスチック産業の時代が始まったのは第2次世界大戦後の1950年代で、本格的にプラスチックの製造が始まってからまだ60年ほどしかたっていません。プラスチックはいつごろ、誰が発明したのでしょうか。

プラスチックは誰が発明したの?

私たちが日常に使うプラスチックは、石油から作られる完全な合成樹脂ですが、プラスチックが誕生する前は天然樹脂が使われていました。代表的なものに、アラビアガム(ゴム)として知られるアカシア樹脂や、カイガラムシから抽出されるシェラックなどがあります。シェラックはヴァイオリンや家具に塗るニスやレコードの材料にも使われていました。

19世紀なって、1983年にフランス人のルニョー(フランス車のルノーではない)が、塩化ビニルガスを太陽光にあててポリ塩化ビニルの白い個体を作ったのが、おそらく最初の合成樹脂と言われています。さらに1839年にドイツのジモン(Simon)がポリスチレンを発見します。が、当時はこれらを製品化する術はなかったようです。

その後、アメリカのチャールズ・グッドイヤーが、天然ゴムラテックスに硫黄を混ぜて(加硫という)、弾性をもたせることに成功。これがいわゆるゴムですね。さらに硫黄を過剰に加硫するとエボナイトになります。

1855年にイギリスのアレキサンダー・パークス(Alexander Parkes)が、綿から取り出したセルロースに硝酸と他の物質をまぜて、透明でベタベタした物質を作り出しました。天然高分子の化学構造を化学反応で変化させたもので半合成高分子といいます。

これが歴史上、最初の熱可塑性(ねつかそせい)プラスチックとされています。パークスは、これをパークシン(Perkesine)と名付けましたが、資金が足りなくて実用化にはいたりませんでした。

その後、1969年に、ニューヨークの実業家、ジョン・ウェズリー・ハイアット(John Wesley Hyatt)が、パークシンを元の材料にして(ほぼパクって)、硝酸セルロースに樟脳(しょうのう)を混ぜて、セルロイドと名付けて実用化・商品化します。セルロイドはビリヤードの球に使われる象牙の代用品として活躍し、野生動物の保護にも一役買いました。

セルロイドは、その他にメガネのフレームや万年筆、映画や写真のフィルムなど様々なものに使われました。

日本でも明治のはじめから、セルロイドを使って人形や雑貨、婦人用アクセサリー、フィルムを製造するようになり、国産のセルロイドの製造も始まりました。

セルロイドの製造に使う樟脳は、クスノキ(樟樹)の葉や枝などを原料に作られます。20世紀のはじめ、樟脳の主要産地であった台湾を領土にしていた日本は、昭和のはじめに世界一のセルロイド生産国になります。

しかし、セルロイドは発火性があるのが大問題でした。極めて燃えやすいため、戦後は他の種類のプラスチックに代替されていきました。現在では、セルロイドはメガネのフレーム、万年筆に使用されている程度です。

完全なるプラスチック:ベークライトの誕生

ベークライトの文字

20世紀にはいってすぐ、天然素材を使わない、完全な合成高分子(つまりプラスチック)が誕生します。

1907年、ベルギー生まれのレオ・ベークランド(Leo Baekeland)は、石炭からとりだした炭化水素物質から合成高分子をベースとしたプラスチック(フェノール樹脂)を作り出します。「ベークライト(Bakelite)」と名付けられました。

ベークライトは大人気となり、キッチン用品からオモチャ、カメラのボディや電話の受話器やラジオ、テレビのケースカバー,エンジンのパーツにまで幅広く使用されるようになりました。ベークライトで作られたコダック社のフィルムカメラのビンテージ品が今でもオークションで売られています。

その後,ナイロン(ポリアミド)、アクリル樹脂やポリウレタン、ポリスチレン、ペットボトルのPETなど様々な種類のプラスチックが世界各地で生み出されていきます。これらのプラスチックはすべて、石油や天然ガスなどの化石燃料をベースにした合成高分子(合成ポリマー、合成樹脂)です。

ベークライト製の黒い電話

プラスチック大量生産の幕開け

第2次世界大戦(1939-1945)になると、銅やアルミ、鉄が軍事利用で貴重になったことから、代わりにプラスチックの需要が世界的に増加しました。そしてプラスチックの製造メーカー、機械メーカー、鋳型メーカーが栄えていきます(Beall 2009)。

第2次世界大戦の終結後、安くて使い捨てできる便利さがうけて、プラスチックは市場に急速に拡大していきます。

こうして家庭内で利用される日用品の多くはプラスチック製品が代用するようになりました。大量生産されて、衣料や生活環境に欠かせない物となっていきます。それゆえ、第2次世界大戦を境にプラスチック産業の時代が始まったと言われています(Morris 1986, Beall 2009)。

日本でも、戦後、プラスチックの生産量が増大していきました。1950年にはわずかに1万7000トンだった生産量は、1965年には170万トンに急増します(金子 2007)。1960年以降、プラスチックの生産量はさらに急速に増え、オイルショックで落ち込んだこともありますが、1995年には1400万トンに突入しました。

その後、他国での生産量の増大もあり、日本では少し落ち着きを見せ、2009年以降の生産量はおよそ1000万〜1100万トンで推移しています(日本プラスチック工業連盟ー統計)。現在では、通常のプラスチックよりも高機能を持たせたエンジニアリングプラスチックの開発が進んでいます。